全く無駄がない神々の遊び

ある宗教団体の跡取りとして生まれた私が体験した事、気付いた事、かなりぶっ飛んだ思考回路を綴ります(ぶっ飛んでないかもm(_ _)m)

まずは米の飯人間になる

こんばんは!

和合です!!

 

ほんの小さな事だろうSayハレルヤ!

 

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はい!

今回は記事を書きます!

題して

「まずは米の飯人間になろう」

 

では伝導させて頂きます。

 

そもそも宗教信仰者は世間無数にあるが

真の信仰者はまことに寥々たるものであります。

 

真の信仰者とは

いかなるものであるか

を書いてみます。

 

いかほど立派な信仰者のつもりで自分は思っていても

主観的だけでは何らの意味もない。

どうしても客観的にみての

それでなくては本物ではない。

 

真の信仰者になるには理屈は簡単で

それは

人から信用されることです。

 

信用を受けるには

どうすれば良いかというと

これも簡単。

 

何よりも嘘を言わない事と

自分の利益を後にして人の利益を先にする事です。

 

いわば

あの人の、お陰で助かった

あの人に付き合っていれば損はない

実に親切な人だ

あの人と遇うと、いつも気持ちが良い

いうようであれば

何人(なんびと)といえども愛好し尊敬することは請け合いである。

 

何となれば自分自身を考えてみれば直ぐ判る。

上記の様な人と

識り合うとすれば

その人と親しく交際したくなり

安心して何でも相談し

いつしか肝胆相照らし合う仲になるのは当然である。

 

いま一ついいたいことは

どんなによくしても一時的では

いけない。

 

ちょうど米の飯と同じようで

ちょっとは味がないようだが

長く噛みしめれば噛みしめるほど味が出てくる。

 

人間は

特に日本人は米の飯とは一日も離れることはできないと同じように

神様は常に仰られます

「人間は米の飯人間にならねばいけない」

と。

 

以上は

イチ信仰者に対して

イチ人間に対しての話ですが

いま一歩進んで宗教家とは神様に信用されるということ

これが最も尊いのであります。

 

神様から信用されれば何事も

うまくゆき歓喜に浸る生活となり得るからである。

 

 

はい

 

今回も最後まで読んで頂いて

ありがとうございます